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YURIA
- 1996年5月29日生まれのふたご座。血液型はA型。
- 神奈川県出身で、大学時代は千葉県にも住んでいたことがある。現在はニュージーランド在住。
- 中学までは成績優秀、スポーツ万能だと自分で思い込み、生徒会に所属したり部長などもやっていた。
- 中学の内申点に救われ、県内有数の進学校「厚木高校」に入学し新入生代表の言葉を務めるも、学校最初のテストの順位は下から2番目で周りとの実力の差に絶望する。
- 学力はなかなか上がらなかったものの、部活動に精を出しバドミントン部の副部長として練習に励む。
- 高校3年生にになると、周りが受験モードに入り危機感を覚えるようになる。受験勉強に励むようになったのは高3の夏休みからである。
- 自分がやりたいことが見つからず、受験する大学選びに悩んでいた頃、昔からディズニーランドのキャストになることが夢であったことを思い出す。
- また、高校2年生ごろから「One Direction」のファンで洋楽を聞くようになったことから、海外へ憧れを抱くようになる。
- 自分の好きなことを仕事にしたいという昔からの強い願いから、海外での仕事とDisneyに関する仕事を結び付けて、”海外でDisney映画を作りたい”という夢を持ち始める。
- ディズニーランドが近いこと、アニメーターになるために美術を勉強する必要があったことから、受験先を「千葉大学教育学部中学校教員養成課程美術科教育分野」に決定する。
- 美術を本格的に学んだことはそれまで一度もなかったが、大学の二次試験でデッサンの試験があったため、高校在学中に周りに内緒で2年間バイトしてためたお金で美術予備校の短期講習に通ったり、高校で美術の授業をとっていなかったが、美術科の先生にアドバイスをもらいに美術室に通ったりもした。
- そのころから、SNSを利用して海外の映画スタジオで働く日本人の方たちと連絡を取るようになる。
- 親の方針で、”国立以外に進学したら学費は自腹”であったため、私立の併願などは一切受けず千葉大一本で勝負した。
- センター試験ではもともと苦手な数学がその年かなり難しかったということもあり、全く歯が立たず絶望した。二次試験も前に座る受験生の描くデッサンのレベルの違いに心砕かれたりもしたが、何とか晴れて現役で千葉大学に合格する。
- 大学時代は始めサークル活動にも参加していたが、ディズニーランドでバイトを始めたあたりからサークルを全部やめ、バイトに精を出すようになる。
- 映画館とディズニーランド、マックなどのバイトを掛け持ちしながら多い時では月24万ほど稼いでいた。
- 映画館でバイトをし、映画がタダで観れることから多くの映画を観るようになる。
- ディズニー好きもますます勢いが増し、一眼レフカメラを購入し年間パスポートも作成。大学の授業の合間やバイト終わりなどほとんど毎日通っていた時期もあった。
- ディズニーのパークで出会った友達と仲良くなり、深い交流が始まる。
- 努力してせっかく入った大学であったが、バイトやディズニーパークへ行くことに忙しく、授業に対する姿勢はあまり良いものではなかった。
- 将来の夢である”海外で映画を作る”ことは諦めていなかったが、英語力や資金の問題から卒業後は日本で働こうと映画配給会社へインターンに行ったり、就活や教員採用試験の勉強をしたりもした。
- ある時、英語力や資金がそんなになくても海外に行ける制度「ワーキングホリデー」というものを知る。
- 日本で働いてお金を稼いでも、お金がたまる保証はないし英語の勉強をする暇があるかもわからないと考え、「ワーキングホリデー」を利用してニュージーランドに行くことを決定する。
- ニュージーランドに決めた理由は、英語圏であることと安全であることから。ニュージーランドの次にオーストラリアやイギリスに行く計画も立てていた。
- そして現在私はニュージーランドにいる。
- 将来的にはお金をため、英語力をつけてバンクーバーにあるVFXの学べる学校へ行き、そのままカナダのワーホリを利用しながら映画業界の仕事を見つけたいと思っている。
好きなモノ・コト
- 映画鑑賞
- バドミントン
- サイクリング
- カメラ
- 猫
- 餃子
- Disney Park
- PIXAR
- MARVEL
- STAR WARS
- 計画を立てること
苦手なモノ・コト